▷Project
『LOVE JUNKIES』(2019)のクリエーションに向けて、俳優と共に旅をしながら稽古・ヒアリングをする試み。
俳優(小濱昭博)に対して、どのような環境と五感の体験が演技に影響・効果があるのかを追い求めた。
演出(鹿島)が同伴するケースと、俳優がひとりで赴くケース、また初めて行く場所or過去にも来たことがある場所、提案されて行く場所or気のむくままに行った場所、強いコンテクストが存在する場所or限りなく自然に近い場所など、アプローチする際の状況にもレイヤーがある。
場所の選定それ自体には、トータルではこれといったコンテクストはない。
▷Concept
俳優は身体に生じた五感を自ら名づけ、存在させることができる。
観客が救われるのは、見失われたままになっている五感を救い出す身振りを、俳優が目の前で見せてくれることにあるのかもしれない。
舞台上の物語/台詞が進行する以前の、演技の在り方を志向すること。
鍛えられた身体による超絶技巧は〈超人〉へと行き着くが、名づけはもっと素朴で弱いままの身体でも可能。
名づけをおこなうことができる存在は、どこか神話の世界の存在に接近することもあるだろう。
存在自体の位相がうつろう、そのことのナイーブさを思い出すこと。
演技術で観客をコントロールできると考えがちな近代俳優術の傲慢さを忘れる機会でもある。
会場 鎌倉・横須賀・福岡・北九州・小倉・盛岡・仙台など
参加者 小濱 昭博
観察者 鹿島 将介
2019.05.11.小濱
孤独であること。
空間の中に身を置くこと。
旅で起こること。
そんなことを気にしながら一日を過ごす。
そんな稽古。
夜の荒浜は、異世界のようで。
いまだに夜の海を怖がっていることを実感できた。
夜は、怖い。
2019.05.13.小濱
鎌倉初日。
りきゅう氏の鳴く声に起こされ、鹿島氏の提案もあり、早朝の鎌倉の街を歩く。
ところどころに、手入れの行き届かなくなった瀟洒なおたくの庭。少しさみしい。
乗られなくなってしばらく経っている庭先のカヤック。それぞれのお家の黄金期はどんなだったのだろうか。
古びてささくれた木塀の上に塗り直された塗料。人の手が、きっとこの町をよくして来た気がした、工夫する、人の手。
流木で作られたらしい、ベンチや可愛いお店の扉。流木の美しさに、なんで惹きつけられてしまうんだろう。
異国の言葉で楽園を名付けられた古いアパート。どんな未来を描いたのだろう
ひとりの時間と演出と二人で行動する時間
由比ヶ浜では、ひたすら〈歩く〉〈佇む〉
目の前にある無限の拡がりが眼を通じて流れ込んでいきます
2019.05.13.小濱
誰も知る人がいなくなったら、何が私を私とするんだろうか。
そんなことを考える。
わたしという判断が、残るのか。
そんなことを考えていると、波の音と潮の匂いに甘ったるい南国の花のような匂いが混じり始めた。
遠くでは子どもたちが楽しそうにパドリングをしている。
見送る背中。寄り添う背中
2019.05.17.鹿島
〈旅する稽古場〉ということで、ここ数日鎌倉・横須賀・博多・枝光・小倉と色々な場所に小濱氏を連れて行って、テクストを使った稽古や問いを投げかけたりしてみた。よく知られているが彼は共感性の高い人なので、旅愁に浸れる感受性を持っている。そこに別の視点を加える作業。
2019.06.02.小濱
歳をとったせいか、花や木々をとても愛おしく思うようになった。
時おり香る花の匂いの元辿りたくなるし、辿った先にとても美しく咲き誇る花々を見つけるととても嬉しくなる。
ふわぁー
となる。
そういう瞬間を大切にしたいし、そんなふうに舞台に立っていたい。
美しさを見つける。
日々の暮らしの中で、かけがえのない時間だと感じれる瞬間を、記憶する。
日々の暮らしの中で、鬱屈した身体をかかえ、嫌な思いを蓄積する。
同じ時間の中にあって、なぜこんなに過ごし方が変わってくるのだろう。
降り積もる出来事に対する、自らの姿勢を定めることはできる。
降り積もる雪の下に耐えてきた時間。
降り積もる火山灰と、その土地になる作物を探してきた時間。
その土地土地で過ごした先人たちの身体に刻み込まれた時間がある。
土に染み込んでいく思いが揮発して、わたしたちはそれを吸い、また、吐きだす。
丁寧に、静かに、わたしの身体を浸していく。
そんな時間を過ごしたいと、思うのだ。
2019.06.06.小濱
蔵王エコーラインへ。
金属を多く含む石。吹きすさぶ風から身を守る背の低い植物たち。
標高の高いところは、神聖な感じがする。地層のように積み重なるような人工物が少ないためか、どこに立っているのかわからなくなったりする。
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