2015年2月《IBSEN×YOKOHAMA》The Performance『人形の家』(TPAM showcase 参加作品)
2014年7月から始まったプロジェクト《IBSEN×YOKOHAMA》。これまでにリーティング、ディスカッション、そして昨年12月におこなわれたインスタレーションを経ての舞台上演。
「女が夫と家庭を捨てて一人で生きていくことを選ぶ」という原作のあらすじに対し、「自分の意志で生き方を選択してきたはずの人びとを動かしていた力とは何だったのか」といった視点を軸に上演した。イプセンは、個人と社会が対決する状況を描いてきた作家と言われているが、その一方、家や海のように人間を包み込んでいる大きな存在に高い関心を持っていた。近代以降の世界を生きる人びとが、自らの意志の力で問題を乗り越えていこうとする姿を描くとともに、人間の力ではどうにもならない領域への眼差しが作家にはあったと考える。近代化を通じて、私たちが手にしてきたものや喪ってきたものとは何だったのか?
横浜という場所が持つ歴史性や雰囲気を引用しつつ、「人間と《世界》の関係の現在地」を浮かび上がらせた。会場は、世界各国の人形が並ぶミュージアム「横浜人形の家」内にある人形劇用の劇場「あかいくつ劇場」。
国際舞台芸術ミーティング(TPAM2015)のショーケース参加作品。
会場 横浜人形の家・あかいくつ劇場
原作 ヘンリック・イプセン
翻訳 毛利 三彌
出演 稲垣 干城 瀧腰 教寛 平井 光子 邸木 夕佳 山田 宗一郎
演出・構成 鹿島 将介
舞台監督 佐藤 秀憲
照明 南 香織
音響 堤 裕吏衣
衣裳 富永 美夏
舞台美術 尾谷 由衣
ドラマトゥルク 高田 斉
宣伝美術 青木 祐輔
イラスト 鈴木 三枝
制作 重力/Note制作部 吉田 千尋(ゲキバカ/天才劇団バカバッカ)
協力 長谷川事務所 ゲキバカ 天才劇団バカバッカ にしすがも創造舎
後援 横浜市文化観光局 ノルウェー王国大使館
主催 重力/Note
上演時間 約90分
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▷ドラマトゥルクの高田斉による創作プロセスの取材&当日パンフレット
三つのカテイの話
私たちの前に、一つの家庭がある。かつては王侯貴族の、そして時代がくだるに連れて中流階級の家庭が文字通り舞台となった。非常にざっくりした言い方をするならば、プロセニアムがどうの、第四の壁がどうのと議論を尽くしたとしても、つまるところ演劇とは観客が他人の家庭を覗き見する関係を基本軸として成立してきたと言ってもよい。演劇の可能性を縦横無尽に追究した寺山修司が、血縁にまつわる愛憎を描き続けた果てに、覗きにまつわるスキャンダルに巻き込まれたのは、ある種の必然なのかもしれない。
私たちの前に、一つの仮定がある。イプセンは、社会のあらゆる問題は家庭生活に収斂するとした。と同時に、急速に広まっていた中流階級としての新たな価値観を吟味するための《場》として、家庭に注目した。素朴に「気持ちのいい」ものとして描き出されていくその空間は、いまで言うカタログのようなものであったし、登場人物たちは同時代人の生き方を体現する意味においてダイジェストであった。では、いま私たちは家庭をどのような機能を持つ《場》として眺めることができるだろうか。そこに集う人びとが抱え込んでいる弱さや衝動とは何か。私たちは、まだ互いに寄添うことを赦しあえているのか。
私たちの前に、一つの過程がある。《IBSEN×YOKOHAMA》と銘打ってスタートした『人形の家』上演を巡る旅も、もうすぐ終わる。ここまでのプロセスは、いわば大文字の文学として祭りあげられてしまった『人形の家』を、あの手この手を使って小さくしようとする試みだった。だが問題なのは、その果てに何が残るのか、だ。インスタレーションでは、日本の近代化を象徴する公会堂を、舞台上演では、人形劇用の劇場を使うことにした。《近代》という時間が私たちにもたらしたものは何だったのか、横浜の地で向き合う機会になれば幸いである。
鹿島 将介
▷参考文献
アルフォンソ・リンギス『何も共有していない者たちの共同体』
市村弘正『増補 小さなものの諸形態』より「家族という場所」
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